僕がインターネットビジネスを始めた経緯
大学卒業、そして上場企業へ就職
僕が地元の大学を卒業したのは1993年のことで、その当時は、バブルはすでに崩壊していましたが、まだまだ日本が失われた20年に突入しているという雰囲気は薄く、今のような就職氷河期ほどの激烈な状況でもなく、かといってバブル期のような売り手市場でもなく、という中途半端な時期だったのを記憶しています。
受けた企業数は5-6社程度ですので、のんびりした雰囲気の就職活動でした。
その中の数社から内定を受け、最終的に地元の小売系の上場企業に就職したのでした。
小売に就職したのですが、
配属先は経理部。。
大学時代は経済学部生だったのですが、簿記とかは勉強したことがなく、
あらら・・・
という感じだったのですが、これも運命と覚悟を決め出勤し始めたのでした。
ところが!
仕事がない。。。
経理部には部長と課長がいたのですが、仲が悪かったんですね。部長が僕を経理部に引っ張ったものだから課長は知りませんという感じで。
部長は部長で課長に任せたから。みたいな感じで。。
毎日、今日はなにをしましょう?と先輩にお伺いをたてて、
仕事をもらうという状況が2年くらい続いたのです。
そんな状況を打破できないかと、
どうしたものかなぁ・・・と思案したのですが、
その当時、ようやくパソコンが普及しはじめたころで、これを使って経理業務を改善しよう。と思いたち、パソコンの勉強をしては、簡単なシステムを作って経理業務に使ってもらうように働きかけていったのです。
瓢箪から駒みたいな話しですが(苦笑)
僕に仕事がなかったという状況のおかげで、
▼パソコンを覚え、
▼業務に活用する
ということを実現でき、
▼仕事は自分でつくるものだ
という信念を持つようになったのだから、おもしろいものですね。
その後、システム部門、財務、人事給与など管理系全般を経験し、その経験を活かし地元の有力メーカーに転職したのですが。。
そこからが、さらなる波乱の幕開けでもありました。
リーマンショックで給料減少・・・
少し前の話しになりますが、リーマンショックというものを覚えてますでしょうか?世界的な不況に喘ぎ続ける発端となったことなのでご存知の方も多いでしょう。
リーマンショック前の売上高は、150億円を超えていたのですが、リーマンショックを堺に、売上が激減し、40億円程度まで減少してしまったのです。
売上が100億以上吹っ飛びましたので、ほんとうに大変な経験をしました。
それは一時帰休から始まりました。
普通は平日5日勤務ですが、最盛期は平日の勤務は3日だけになったのです。
帰休日は満額の給与の6割は支給されるのですが、週に2日やってましたから、
16%の減給です(泣)
さらに、それでも足りずに給与カット。
当時は管理職でしたので、10%カット。
さらに更に、賞与でも減額がつづき。
リーマンショック前は2ヶ月支給だったものが、1ヶ月に減らされ、さらに0.5ヶ月、0.3ヶ月。さらにはゼロにまで落ち込んでいったのです(大泣)
このようにドンドン落ちていく給与明細を見つめても、回復の兆しなく、
このままではジリ貧だ。。。
という焦りにも似た焦燥感を抱くようになったのです。
そして、どうにかしなければと情報を探し、アフィリエイトというものと出会ったのでした。
アフィリエイトとの出会い、そして挫折・・・
僕がアフィリエイトというものに出会ったのは2011年7月、サイトアフィリエイトの某塾に入ったのがキッカケになります。
それから毎日2~3時間、休日は4~5時間を費やし、サラリーマンをつづけながら必至に作業を続けていましたが、1年間はなかなか稼ぐことができなかったのです。。
1年間で累計1,000時間を超える時間をサイトアフィリエイトに費やした計算になります。
その時間を時給1,000円のアルバイトに費やせば、少なくとも100万円(1,000時間×1,000円=100万円)稼ぐことができた訳ですが、実際に稼いだ額は16万3,443円だけだったのです・・・
しかも塾代だけでも50万円は投資していますので完全に負けが込んでいる状態でした。
作業しても作業しても結果がついてこないのは本当に辛い、つらいですよね。
2年目に入り月10万円を超えて稼げるようにはなりましたが、最初の1年間は非常に苦しい思いをしてきたわけです。
同じ時期に始めた仲間たちが、そんな状況の中、アフィリエイトに失望し、作業を止め脱落していく姿も数多く目にしています。
それはそうですよね。
月に1,000万とか100万とかそんな夢のような数字が実現できると思って塾や教材を買ったにもかかわらず、実際には実現できない訳ですし、それはあなたのせいだと言われるのですから・・・
サイトアフィリエイトは、自動販売機をネットに設置するようなものだと例えられることもありますが、僕が経験したそれは、気が遠くなるほどの作業量をこなし、それを続けなければ報酬が落ちて当たり前の世界だったのです。
累計で作ったサイト数は600を超え、毎日30~40記事を新規に投稿し、被リンク作業したり、etc・・・
それでも
「方向性を間違えずキチンと作業をこなせば報酬は落ちない」と言われ、まだまだ足りないのか・・・と、ため息をつく毎日でした。
10万円を超えて稼げるようになっても、月によっての成果の凸凹が続き、不安を感じつつ作業を止めることができない僕がいました。
稼げる方から見たら、まさにノーセンスの極みでしょうね。。。
YouTubeとの衝撃の出会い
それが今ではそんな不安から解放されたのですから不思議なものです。
そのキッカケが、僕の場合でいうと、YouTubeなのです。
YouTubeの日常的な作業は、
1.動画を撮影する
2.動画をYouTubeへアップロードする
3.タイトルなどをつけ収益化のチェックを入れる
この3つだけです。
これまでの作業が嘘のように、日常的な作業が少ないことに衝撃を受けました。
このことにより、市場調査などに時間を割く余裕を生み出し、YouTubeでの収益を順調に伸ばしていくキッカケになりました。
さらに衝撃はつづきます。
報酬は伸びていったのです。
↑
ここはビックリしてください(驚)
これまでは、ある月で報酬を上げても、翌月はゼロから始まるのですね。
ですが、YouTubeの場合は、再生数がゼロになることが想定しづらいので、報酬もゼロから始まるわけではないのです。
本当の意味での自動販売機をネットで手に入れた瞬間です。ここは本当にビックリするほどの可能性をYouTubeに感じた瞬間でもありました。
このような様々な経験を経て、最終的にYouTubeと出会い、僕の人生は劇的に変化しました。
YouTube Start Pack を手にして頂いたあなたには、僕のように紆余曲折することなく、最短最速に成果をだしてもらいたいと考えています。
そのためにも、まずはマインドのところからYouTube Start Pack のノウハウを吸収していってください。
そして、一緒にYouTubeで稼ぎ、稼ぎ続ける土台を築いていきましょう。
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Takeshi Kato
1971年11月1日生まれ。新潟県出身。
息子と遊ぶことが大好きな49歳。
大学卒業後サラリーマンとして働くも、出世や昇給の限界を感じ、38歳で副業を始め、間もなくして退職。ネットビジネス1本で生きていく道を選択する。 まったく稼げない時期に苦しみながらも、YouTubeアドセンスと出会い、今では1 日1本の動画をつくるだけで、サラリーマン時代の収入の3倍を稼ぎ続けている。 当時の自分と同じような葛藤を抱える中年サラリーマンに、人生の選択肢を与えることをテーマに、情報発信や指導にも積極的に取り組み、“稼ぐ”ではなく”稼ぎ続ける”ことを重視する指導指針には、老若男女、幅広いファンから熱い支持を受けている。
◆加藤武プロフィール
◆教え子の喜びの声
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